My Backbone 本と映画と音楽と ~「小清水 志織」こと Yくんのリクエストに応えて~
『知的好奇心』(波多野誼余夫<ぎよお>・稲垣佳世子 著。1973<昭和48>年 初版。中公新書 刊)
※紹介文より
伝統的な心理学の理論は、人間を「ムチとニンジン」がなければ学習も労働もしない怠けもの、とみなして
きた。(中略)人間は生まれつき、進んで情報的交渉を求める旺盛な知的好奇心を持ち、それこそが人間
らしく生きる原動力であることを実証し、怠けもの説に基づく従来の学習観・労働観を鋭く批判する。とくに
楽しい学習の設計、幼児の知的教育の可能性を具体的に追求する。
※本文引用 (太字はHP作成者による)
はじめて自転車に乗れるようになった子どもは、それがうれしくて、どこにでも自転車に乗っていき
たがる。これは一つには、人にみてもらいたいためであるが、それ以上に自分の獲得したばかりの能力
を発揮したいからなのである。だれも注目してくれなくとも、自転車に乗って走ること自体が、その子どもに
とっての遊びであり、新しい感覚と有能さの自覚を通して大きな喜びをもたらす。そして同時に、その子
どもの自転車乗りの技術は、いっそう確実な、安定したものになっていく。
…教師のほうは、子どもたちに(中略)羅列的な知識をつめこんでいることを、よく知っている。子どもがイヤイヤ
勉強していることも承知している。けれどもやはり、おどしたりすかしたりして、つまりムチとニンジンで、なんとか
子どもを勉強へかりたてようとする。しかし、人間はもっと楽しく勉強できるはずだ、と思っているかいないかで、
自分のおしえ方に対するやましさはおおいにかわってくるだろう。
いまの受験体制のなかで、それも受験にしか役立たない勉強を、楽しくつづけていく子どもを考えてみよう。彼らは
一見したところ、学習への自発的な興味を示す。その意味で「よい子」であり、教師にとって扱いやすい存在である。
しかしよく観察すれば、彼らの学習への興味は、決して内発的ではなく、ただ社会的成功にとって不可欠だから、
という道具的なものにすぎないことがすぐわかるだろう。「試験に出るか否か」、「成績に関係があるか否か」、という
のが、彼らの判断の最終的なよりどころである。(中略)だから、われわれは、「みかけの内発性」にだまされないよう
にしなければならない。みんなが好奇心・向上心を働かせているようにみえるときも、それが暗黙裡に強制された
ものでないか、疑ってみることが必要である。
※このホームページの「脚下照顧」のコーナーから
「卒業写真」つながりで、ユーミンの「恋人がサンタクロース」のサビのメロディーを、次のような替え歌にしてみた。
~♪~授業が 生徒指導 本当は 生徒指導 罪と罰 乗り越えて
授業が 生徒指導 大切な 生徒指導 アメとムチ ではなく~♫~
ちなみに2番の替え歌は、~♪~部活も 生徒指導…~♫~。
私の考える生徒指導とは、生徒に○○を指し示し、◎◎に導くこと。○○=よりよく在ること、◎◎=よりよく生きる
こと。「生徒に、よりよく在ることを指し示し、よりよく生きることに導くこと」。「よりよい在り方・生き方」の「よりよさ」が
「今より一つ上」(そこでの・その時点での自分にとっての「金メダル」)だし、「達成感もいいけど、途上感も幸せ」という
こと。 2021.2.25